CFOを辞めたら北海道に移住したくなった(仮)

仕事から離れ2020年の移住に向けて準備を進めるおじさんのブログです

20年以上連れ添った大切な3冊の本を手放した話

8月下旬に自分にとって思い入れの強い本を3冊手放しました。

 

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どれも20年ほど手元にあった本。

何度かあった引越というサバイバルシーンを生き抜いてきた仲間。

手放すのは惜しい。寂しい。

 

しかし、北海道移住に向けてモノの処分を進める必要がある身。

引っ越し代・家賃を節約するためには仕方ない。

 

 

さようならした3冊の本は、もはや読むことはない本ばかり。

読まなくても中身は理解した。だからもう手放して自由にしてあげた。

ただ手元にあるだけで安心する、家族のような本。

 

そんな3冊のことを忘れないために、思い出を文章に記録します。

 

 

8月は、段ボール3個分(重さにすると60kg以上)の本を売却処分しました。

10月は、衣替えと同時に夏用品の処分を進めつつ、無理なくモノを減らします。

 

 

 

では、本と出会った順で紹介します。

 

ぼくはこんな本を読んできた(立花隆 著)

「ぼくはこんな本を読んできた」との出会いと自分にもたらした変化

大学の授業なんて聞いても仕方ないんだ。知識を身に付けたければ本を読めばいい。

 

駿台予備校の夏期講習の授業の最初に英語の先生が放った一言でした。忘れもしない、表三郎先生

 

「は?」とびっくりしたのと同時に、「やった!」と思ったのが正直な感想でした。なぜなら、当時はPTは浪人生。現役受験に失敗して、「同級生に後れをとっている」と挫折・劣等感に苛まれていた時期だったのです。

 

大学で授業に出ても仕方ないのなら同級生に遅れは取らない。浪人生であっても読書してれば追い越せるやん。

 

読書で知識が身に付けられるという実例として表先生が紹介してくれたのが立花隆氏。「知の巨人」ともいわれる人物です。立花隆氏の本を読めばどうにかなるだろうと書店に行って手に取ったのがこの本でした。

 

実戦的読書法、書斎をめぐるあれこれ、本の整理学、そして瞠目の読書遍歴――。現代を代表する知の巨人の、創造の秘密を全公開!


「同テーマの類書を読め」「自分の水準に合わぬ本は途中でも止めろ」「?と思ったらオリジナル・データにあたれ」…、実戦的読書のためのアドバイスから、書斎・書庫をめぐるあれこれ、そして驚異的な読書遍歴を物語る少年時代の作文まで。旺盛な取材、執筆活動の舞台裏と「知の世界」構築のためのノウ・ハウを全公開する。

(Amazon立花式読書論、読書術、書斎術 ぼくはこんな本を読んできた (文春文庫)より) 

 

それまでの読書と言えば小説が中心。村上春樹さんや西村京太郎さんの作品が手元にたくさんありました。立花隆氏と出会って以降は、小説以外の分野、例えばノンフィクション・古典の分野への興味が強くなりました。

 

浪人時代はさすがに読書三昧の日々を送るわけにはいかず。しかし大学入学後、特に夏以降は学校にも行かず、終日家に閉じこもり読書に勤しむ日々が続きました。「大学の授業なんて意味がない」という表先生の言葉を信じてね。

 

1年生後期の試験が終わったあと、同級生と比べて取得単位数が半分以下であることに危機感を抱き、2年生からは大学に真面目に行かざるを得なかったことは秘密。

 

 

「ぼくはこんな本を読んできた」が自分にとって大事だった理由

読書を通じて知識・知性を身に付けることができる、と知ったのは立花隆氏のおかげです。氏と出会うまでは、読書=娯楽でした。

 

社会人になってから、自分の理解できない事象と出会うことが増えました。しかも、誰も答を教えてくれません。でも、立花隆氏と出会っていたPTは大丈夫でした(たぶん)。読書により答を探すことができる、もしくは、読書により身に付けた知識・知性で難しい事象に立ち向かうことができると分かっていたから。

 

そんな、自分の知識・知性の基礎を忘れたくなかったのかもしれません。

 

 

 

プラハの春(春江一也 著)

「プラハの春」との出会いと自分にもたらした経験

手に取ったのは1997年の秋。

 

大学生活にも慣れて、つまり、授業に出席しないことにも慣れてバイトに明け暮れていた毎日。「授業に出ても仕方ない!知識は読書からのみ得られるのだ」という根拠のない持論をもとに、授業と授業の空き時間に大学図書館をウロウロしていて、偶然に見つけたのが「プラハの春」でした。

 

1967年3月、プラハ。チェコスロバキアは共産主義の抑圧から脱し、経済改革と自由化への気運を高めつつあった。そのさなか、堀江亮介はビーナスのようなカテリーナ・グレーベと出会った。だが、亮介は日本国大使館員、カテリーナは東ドイツ人の反体制活動家。東西対立の最前線の地では、禁断の愛だった―現役外交官が自らの体験をもとに描いた、国際ラブ・ロマン。

(Amazonプラハの春 上 (集英社文庫)より)

 

プラハの春とは、言わずと知れたプラハの民主化運動。最終的には、ソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍の軍事侵攻により弾圧されて終わりました。この本は、プラハの春当時のプラハを舞台にした日本人外交官と反体制活動家女性とのラブストーリーです。

 

本を手に取ったPT青年は、当時は片思い真っ只中。そして、若かりし頃には誰もが通るであろう、「若いころには借金してでも無理してでも海外へ行っとけ」信仰を真に受けて、海外へのあこがれ沸騰中の時期。

 

プラハに実際に行ってみれば人生が変わるんじゃないか??なんなら、プラハに行ったことをきっかけにして、片思いが実るんじゃないか?

 

意味が分かりません。

いや、というか、何かしたい!何かしなきゃ!と心の底から思わせる原動力を掻き立てる本だったのですよ。

 

まずは航空券を購入。ネットが一般的でなかった当時はABROAD(エービーロード)という雑誌で格安航空券を探して「四季の旅」という旅行会社の事務所で購入したのでした。

もうつぶれた会社だけどね。

「四季の旅」が自己破産/過当競争で行き詰まり。負債総額は50億円とも|日本海事新聞 電子版

 

そして、チェコの入国ビザも入手。お金払って旅行代理店にビザの入手依頼をすれば安くて簡単だったのに、なぜかPTは自分で東京のチェコ大使館に出向いて手続きしてきました。往復ともに夜行バス。めちゃめちゃ疲れた記憶があります。当時のチェコは観光で入国するのにもビザが必要だったのですよ。 

 

 

そして、プラハ一人旅を実現。関西空港からモスクワを経由してアエロフロートで行きましたよ。

カレル橋 

美しかった。寒かった。寂しかった。

簡単にいうと、そんなプラハ一人旅となりました。

 

プラハ一人旅したけど、人生は大きく変わらなかったし、片思いも実りませんでした。そりゃそうだ。

 

 

「プラハの春」が自分にとって大事だった理由

それは、無性に自分を駆り立てる何かに、歯向かうことなく駆り立てられるがままに動いてみた、そしてたどり着いた初めての経験(初めての海外一人旅と旅行に行くまでのプロセス)を忘れたくなかったのかもしれません。

 

若気の至りというやつかもしれません。今はもう無いけど。 

 

 

 

憲法(芦部信喜 著)

 「憲法」との出会いと自分にもたらした経験

他の2冊ほどの、自分にとっての劇的なものはないです。

 

大学生のとき、公務員試験に向けた勉強をしていた時期が少しだけありました。予備校に通って勉強してたのですが、その時に指定された教科書です。テキストだったので、たくさん書き込みもして、何度も読みました。

 

以上!

 

 

「憲法」が自分にとって大事だった理由

大学では「法学部」に在籍してましたが、法律の授業が苦手でした。

 

「民法1」という基礎中の基礎の授業単位を落としたレベルだよ。

 

そんな、法学部の落第生のPTが取得した数少ない法律系授業の単位が「憲法」。法学部生だったことを忘れたくなかったのかもしれません。

 

以上!